包括的所得概念

現行の租税法において、所得税法が重要な地位を占めています。

所得税とは、人の所得に対して課される租税です。

この「所得」の考え方について、日本の所得税法は包括的所得概念と呼ばれる考え方を採用しているといわれています。

包括的所得概念とは、人が収入等の形で新たに得た経済的利得をすべて所得と考える考え方を言います。

すなわち、所得とは、期中消費額と期中純資産増加額との和と定義付けられることとなります。

包括的所得概念の対義語は、制限的所得概念ですが、所得税法34条1項において雑所得が定められており、包括的所得概念と矛盾する規定はなく、むしろ、それと親和的なみなし譲渡所得課税などの規定が存在していることから、日本法では包括的所得概念を採用しているとされます(佐藤・P5)。

さて、この所得額=期中消費額+期中純資産増加額の等式ですが、簿記の知識をもとにすると、若干違和感を感じなくはありません。

簿記の貸借対照表では、貸方に資金の拠出源泉である、負債と純資産があり、貸方にこれらの運用形態である資産があります。そして、資産を運用し、費用と利益との差額(または期首純資産と期末純資産との差額)が純資産の増加として把握されることになります。

このような簿記の考え方からすると、純資産の増加をもたらすはずの期中消費額とその結果の期中純資産増加額とを合算することについて、違和感があるわけです。

この違和感を解消するには、やはり「所得」とは何かを考える必要があるのでしょう。

ここで所得とは、あくまで人の心理的満足を図る便法であるという考え方に行き着くのかもしれません。

所得税法上は消費を心理的満足を生むものととらえ、簿記は消費を利益を生むものと捉えているように思われます。

確かに、個人にとって消費は心理的満足を有無ものです。これについて、法人の消費は心理的満足を得るものではないのでしょうか。法人の心理的満足自体、そもそも擬制とはいえますが面白い問題です。

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租税法律主義の形式性

租税法律主義は、あるべき法律を規律すべき内在的な規範を有しているのでしょうか。

他法の分野であれば、あるべき法律の形を導くべく、内在的な規範に基づく解釈論が展開されることもあります。

しかし、租税法律主義においては、行き過ぎた実質的解釈が租税公平主義や租税法律主義を害するおそれからか、かなり形式的に租税法律主義が捉えられています。

そもそも租税法律主義が権力者による恣意ではなく、課税される側の代表による法律という形式による租税規律を要求したという歴史的沿革からすると、あくまでその主眼が法律という形式に向けられているとしても不思議ではありません。実質的解釈の氾濫は、この租税法律主義の形式性を害しかねないものといえます。

また、ケースバイケースによる実質的解釈は不公平を生みやすいため、租税公平主義とからも問題となりうるのです。

このように、租税法律主義は租税の正当化根拠ではあるものの、あるべき租税を達成するための指導原理とはなりえないという、いわば矛盾した原則であるといえるのかもしれません。

租税をあるべき姿へと導くのは、他の法理、または法律という形式の外の立法論や立法過程に求めざるをえないものと思われます。

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租税法律関係

国家と国民との間の租税をめぐる法律関係を租税法律関係といいます。

租税法律関係の性質としては、二つの考え方があります。

一つは権力関係説。これは、租税法律関係を国民が国家の課税権に服従する関係としてとられる考え方をいいます。権力関係説は、租税根拠論の義務説に親和的な考え方であるといえます。

もう一つは、債務関係説。これは、租税法律関係を国家が納税義務に対して租税債務の履行を請求する関係ととらえる考え方です。債務関係説は、租税根拠論の対価説に親和的な考え方です。

租税法律主義のもとでは、この二つの考え方のいずれかをとるということを演算的に導くことはできません。租税法律主義では、まさに法律の規定により一面では権力関係説的な規定を置き(例えば、滞納処分など)、他方で債務関係説的な規定を置くことも可能であるからです。

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したがって、租税法律主義が不合理な権力関係説的な規定を排除する内在的な制限規範を有しているのかはなお検討を要するものと考えられます。

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租税根拠論

日常生活の中で、当然のように我々は租税を納めています。

給料日には所得税、財産を相続したときには相続税、物を買うときには消費税。

では、なぜそもそも租税を納めなければならないのか。その根拠を問題とするものとして租税根拠論があります。

租税根拠論のなかでは、大きくわけて二つの考え方があります。一つは、利益説とか対価説とか呼ばれるもので、租税を国家サービスの対価としてとらえています。

国民は種々の国家サービスを受けており、その財源として租税が重要なウエイトを占めていることは確かです。ただ、この対価説では、租税の歴史的沿革に反すること、所得税の累進税率を説明できないこと等に難点があります。

もう一つの考え方として、義務説ないし犠牲説と呼ばれるものがあります。すなわち、国家はその任務を達成するために当然に課税権をもち、他方で国民は当然に納税義務を負うものという考え方です。

この義務説は、租税の歴史的沿革には忠実なのかもしれませんが、租税には対価的側面んがあることは確かであり、また、国民主権など現行憲法の考え方と矛盾が生じないかという点でも問題があるように思われます。

私見では、租税を正当化する根拠は、国民の代表の制定する法律に基づいて租税を賦課・徴収するという租税法律主義に求めざるを得ないものと考えられます。

租税は、国の歳入を支える大きな財源ではあるが、赤字国債が財源確保にとって重要となっている現在の財政において、租税のみをもって国家サービスの対価ととらえるのは困難であり、また、優遇税制など租税は政策目的を達成するための有効な手段として多く利用されているからです。

租税法律主義を租税の正当化根拠とすることは、同時に租税法学において、既存の法律学が避けてきた立法論的立論が避けてとおれないことを意味しているようにも思われます。

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業規制と歴史

金融商品取引法の三本柱として、金融商品取引業者等に対する業規制があります。

開示規制が企業の実態を映す鏡であるなら、業規制は歴史を映す鏡ともいえます。

そもそも業規制が初め登録制からはじまり、昭和30年代の不況から昭和40年の旧証券取引法改正により免許制に移行し、その後、平成に入ってい規制緩和の進展から、平成10年の改正で再度登録制に移行しています。

平成10年後も平成15年の仲介業者など時代のニーズに沿って業規制の見直しが行われてきています。

そして、なんといっても業規制を根本的に見直したのが、平成18年の金融商品取引法に係る改正です。

同改正により、規制の横断化と柔軟化が図られ、横断的な金融商品取引業による規制や特定投資家制度による柔軟な規制が行われることになりました。

これも、さまざまな金融商品の浸透とそれに応じたさまざま投資家の出現という現代的な課題に対応するものといえます。

このように、業規制はその時代の社会状況に応じて変化していく宿命にあります。

最近でも、サブプライムローン問題に端を受けて、格付会社を規制しようとするニーズが高まっています。そして、このための法改正を行うことを政府が検討しているとのことです。

このように無味乾燥といえる業規制も歴史という観点からみれば、面白いものに見えてくると思います。

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投資信託1

信託法が大改正されて、はや1年が経っています。

「信託」という言葉自体は「信託銀行」たど物心がついたときにはしっていたのですが、法律的にその存在を理解したのは、破産法の講義のときでした。破産法には破産財団や破産管財人の地位、破産債権者の地位、否認権等を整合的に説明するための理論として、破産理論というものがあります。

この破産理論としては、なんといっても兼子一の「暗星理論」が有名です。これは、破産法の種々の制度を理解するために破産財団に見えざる法人格を認めるという理論です。

暗星とはブラックホールのことで、目では見えないのだけど、理論的に詰めていくとそこに星がなければおかしい。すなわち、破産法の制度を整合的に位置付けていくとすると破産財団に法人格がなければおかしいというわけです。

その後、亜種として信託説というものが出てきました。すなわち、破産理論は信託だとすることで説明できるのではないのかというものです。

ここで初めて信託というものに興味をもったのですが、そもそも信託法の分野でも信託という制度をどのように位置づけるのかで議論があり、信託説は破産法の議論の答えを信託法に押し付けているようにも思えます。

このような哲学的な理論に興味を持ちつつ、あまり存在意義を感じないのは、信託というものが民法の世界よりも商法の世界で多く使われているためかもしれません。商法の分野では、哲学的な理論的整合性よりは、スキームとしての側面をそのまま受け入れる傾向にあるように考えられます。

信託で一番多く使われているのは、なんといっても投資信託ではないでしょうか。投資信託は多くの人が購入しているものであり、アメリカでは預金残高を越えているとまでいわれています。

投資信託には「投資信託及び投資法人に関する法律」というものがあり、信託法による規律だけでなく特別法による監督、さらに金商法によるディスクロージャー、業法の規制を受けています。そのため、裸のままの信託の本質の理論が妥当するのかは疑問です。なお、投資信託以外の信託の利用としては、買収防衛策や流動化のためのスキームが考えられます。これらの利用もそれぞれ独自の視点からの規律を受けています。

このように、信託法の分野では、商事信託の存在を抜きにしては、その正確な性質を把握することはできなくなっているものと考えられます。

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中国の証券法

日本で金融商品取引法があるように、中国でもこれに相当する「中華人民共和国証券法」があります。

同法は、彼国のイデオロギー、国有企業改革との関係もあって、非常な難産のうけ生み出されたものです。ちなみに証券法は、2006年1月1日から施行されています。

中国証券法の大きな特徴は、いまだ計画経済的色彩が色濃く残っている点です。

例えば、有価証券届出書については、金商法では届出制、アメリカでも登録制ですが、中国では「核準制」という独自の制度をとっています。

「核準制」とは、審査確認制のことで、中国では公開有価証券(日本の募集に相当。①不特定多数の者に発行、②特定の200人以上の者に発行、④その他法令で定める場合)を発行する場合には、国務院の証券監督管理機構の「核準」を受けなければならないとされています。

また、有価証券報告書に相当する年度報告は、上場企業に義務が課せられていますが、そもそもこの上場自体も政府によるコントロールがなされているようです。

このように、中国の証券法は政治イデオロギーの影響のもと、彼国独自の色彩を有したものとなっています。

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大暴落

 最近書店で「大暴落1929」という本を見つけました。

 同書の著者は著名な経済学者であるジョン・K・ガルブレイス。初版は1954年とのこと。

 経済学者が書いた本といってもドキュメンタリーに近く、読みやすい本です。

 この本を読んでいると、昔からバブルとバブルの崩壊が繰り返されているのだということに改めて気付きます。同書いわく、「ブームは必ず終わる」とのこと。

 法律の世界でも同じで、M&Aブーム、知財ブーム、会社法ブームから個人情報保護法ブームなど多くのブームがあります。また、ロースクールブームなど、法律の担い手についてもブームがありました。

 「ブームは必ず終わる」ものというのは真理ですが、ブームにのった当事者はなかなかそれを認めることができないというのも、人間なのかもしれません。

 つい先日、司法修習生の2回試験の不合格が3ケタになったとの報道もありました。ブーム後をいかに乗り切れるか。それが真の強さであると思います。今後の新制度下での法曹の活躍が期待されるところです。

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法に規定があるという意味

サミットも終わったのですが、思ったほど株価があがらない今日このごろです。

金融市場に起こった危機が、以下に多くの人々に影響を与えるのか。この業界に携わる人々は皆、心にとどめておかなければならないことです。

さて、今日は、憲法の話をしてみましょう。

憲法では、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義、民主主義など、理想的な理念がうたわれています。

学部で憲法を勉強したことのある人は、「理想と現実は違う。法律は現実を規律するものではないのか。」と思ったことがあるかもしれません。

確かに、法律は現実を規律するルールです。

しかし、法律はそれと同時に、公的な文書として、権利を主張するものに正当性を与える側面をもちます。

たとえば、ある人が人権を侵害された場合。それをただ道徳的に救済されるべきであると主張するよりも、憲法で保障されている人権が侵害されており、この侵害は許されるべきではないと主張する方が、その正当性の面で大きな違いがあります。

特に憲法など国の理想的なあり方を規定する法においては、とくにこの正当性を与える側面の重要性は大きいといえるのではないでしょうか。

法はルールにすぎないと考えることは、場合によっては視野を狭くする可能性があります。法は政策の遂行手段として、あるべき社会への道を進むための正当性という武器を与えることもできるわけです。

他方で、法はそのルールという性格上、規制には適正があるものの、物事を促進する手段としては不向きです。このことは、今回の給付金騒動などは法の不器用さをあらわす事件であるのかもしれません。

法の利点、法の欠陥。双方を意識してこそ、法律を理解する道につながっているように思えます。

最近、格付け会社の規制が報道されていますが、金融危機を法の規制だけで乗り越えることは不可能でしょう。他方、効果的な規制を行う手段として法ほどすぐれている手段もありません。

法のメリット・デメリットを踏まえつつ、ひとつのツールとしての法の活躍が期待されるところです。

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金融サミット

金融サミットが今月の15日に開催されます。

金融サミットでは、各国が自国の経済対策を自慢しあう会合になりそうです。

今回の金融危機で思うのは、市場もそうですが、外交においても民主主義化が進んでいるということです。

各国が自国の経済対策を自慢し、金融という分野において自国への魅力を高める。または、リーダーシップを発揮しようとするのは、まさに選挙のようです。

この意味で、中国の50兆円を超える経済対策は、大きなアピールとなるのでしょう。もともと共産圏の国は、プロパガンダのうまさには定評がありますが、今回も中国のアピール上手が際立つのかもしれません。

これに対して、日本では20兆円の景気対策が総理から発表されたところですが、目玉の給付金については成立の目途も立っていません。給付の辞退などは、法律家からすると制度ですらありません。また、高速道路の休日一律1000円にいたってはどのような話になっているのかすらよく分かりません。

また、金融機能強化法の成立も新銀行等の問題で成立のめどが立っておらず、おそらくサミットまでに成立させることは相当困難であると思われます。

ここまでくると、後は空売り規制と格付け機関の規制しかありません。このような規制強化でどこまで世界の人気をとれるのか、正直疑問です。

もはやのんきに漫画を読んでる場合ではありません。

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