諸法

法に規定があるという意味

サミットも終わったのですが、思ったほど株価があがらない今日このごろです。

金融市場に起こった危機が、以下に多くの人々に影響を与えるのか。この業界に携わる人々は皆、心にとどめておかなければならないことです。

さて、今日は、憲法の話をしてみましょう。

憲法では、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義、民主主義など、理想的な理念がうたわれています。

学部で憲法を勉強したことのある人は、「理想と現実は違う。法律は現実を規律するものではないのか。」と思ったことがあるかもしれません。

確かに、法律は現実を規律するルールです。

しかし、法律はそれと同時に、公的な文書として、権利を主張するものに正当性を与える側面をもちます。

たとえば、ある人が人権を侵害された場合。それをただ道徳的に救済されるべきであると主張するよりも、憲法で保障されている人権が侵害されており、この侵害は許されるべきではないと主張する方が、その正当性の面で大きな違いがあります。

特に憲法など国の理想的なあり方を規定する法においては、とくにこの正当性を与える側面の重要性は大きいといえるのではないでしょうか。

法はルールにすぎないと考えることは、場合によっては視野を狭くする可能性があります。法は政策の遂行手段として、あるべき社会への道を進むための正当性という武器を与えることもできるわけです。

他方で、法はそのルールという性格上、規制には適正があるものの、物事を促進する手段としては不向きです。このことは、今回の給付金騒動などは法の不器用さをあらわす事件であるのかもしれません。

法の利点、法の欠陥。双方を意識してこそ、法律を理解する道につながっているように思えます。

最近、格付け会社の規制が報道されていますが、金融危機を法の規制だけで乗り越えることは不可能でしょう。他方、効果的な規制を行う手段として法ほどすぐれている手段もありません。

法のメリット・デメリットを踏まえつつ、ひとつのツールとしての法の活躍が期待されるところです。

格付会社の研究 格付会社の研究

販売元:楽天ブックス
楽天市場で詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

金融サミット

金融サミットが今月の15日に開催されます。

金融サミットでは、各国が自国の経済対策を自慢しあう会合になりそうです。

今回の金融危機で思うのは、市場もそうですが、外交においても民主主義化が進んでいるということです。

各国が自国の経済対策を自慢し、金融という分野において自国への魅力を高める。または、リーダーシップを発揮しようとするのは、まさに選挙のようです。

この意味で、中国の50兆円を超える経済対策は、大きなアピールとなるのでしょう。もともと共産圏の国は、プロパガンダのうまさには定評がありますが、今回も中国のアピール上手が際立つのかもしれません。

これに対して、日本では20兆円の景気対策が総理から発表されたところですが、目玉の給付金については成立の目途も立っていません。給付の辞退などは、法律家からすると制度ですらありません。また、高速道路の休日一律1000円にいたってはどのような話になっているのかすらよく分かりません。

また、金融機能強化法の成立も新銀行等の問題で成立のめどが立っておらず、おそらくサミットまでに成立させることは相当困難であると思われます。

ここまでくると、後は空売り規制と格付け機関の規制しかありません。このような規制強化でどこまで世界の人気をとれるのか、正直疑問です。

もはやのんきに漫画を読んでる場合ではありません。

外交 (UP選書) Book 外交 (UP選書)

著者:H.ニコルソン,ハロルド・ニコルソン
販売元:東京大学出版会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (3)

格付会社

今日は、久々に日経平均が9000円台に回復しました。まだまだ予断を許しません。特に麻生総理の消費税増税のニュースがどういった影響を与えるのかは、明日になってみないと分かりません。

巷のニュースでは特別減税、消費税の増税、解散・総選挙の見送りの話でもちきりでしたが、11月15日の首脳会談で格付け会社の規制の在り方を議論することも明らかになりました。

格付け会社は今般のサブプライム問題のA級戦犯としてとりあげられているのですが、正直、日本発の証券化商品自体が少ない現状において、日本においてどれほど格付け会社を規制する必要があるのかは簡単には判断できません。

日本において、格付けは専ら社債について利用されているものであり、社債における信用性の指標として格付けは一定の評価を得ているものと思われます。

もっとも、国際的な協調行動が要求されている今、日本だけがなにもしないというのは現実的でないのも事実です。

一方で、格付け会社には表現の自由に関わる問題もあり、どのような規制がなされるのか、その規制によりどれほど投資家に有益な効果があるのか、格付けの指標としての意義を失わせることはないのか等を考慮せずに、他国に追従するだけでは意味はありません。

格付け会社の問題点を改善し、今回の金融混乱のもとは業界全体であることを認識しつつ、日本の投資家構造の問題、金融手法の過剰なモデル化の問題、過度のグローバル化の問題等、関係者にとって反省点となるものを今後の糧にすることが重要であると思います。

格付会社の研究―日本の5社の特徴とその比較 Book 格付会社の研究―日本の5社の特徴とその比較

著者:黒沢 義孝
販売元:東洋経済新報社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

証券化1

最近、仕事の関係で、証券化について勉強しています。

証券化商品としては、サブプライムローン問題で有名となったRMBSやCDOなどがあります。

私と証券化との関係は意外と古く、学生時代に初めて証券化の仕組みを本で読んだ時は、法律の世界でなんと創造的な分野があるものだと思ったことを覚えています。また、学生時代のゼミ論文で証券化の倒産隔離について検討したこともあります。

その時から、もう少し真剣にこの分野を勉強しておけばと思っている今日この頃ですが、あまりこの分野に突っ込みすぎていると、サブプライムローン問題の余波を受けていたかもしれません。それも良し悪しですね。

さて、証券化については、格付け会社の責任がクローズアップされています。EUや米国では、格付け会社の規制が導入されそうな気配です。我が国の格付け会社規制も時間の問題かもしれません。

ただ、日本において証券化商品に格付けを使用することは、それほど数は大きくないようで、格付け会社の規制の影響も思ったほど大きくないのかもしれません。

私の私見では、サブプライムローン問題のA級戦犯は格付け会社ではなく、証券化を過度に推し進めた金融機関にあります。これらの金融機関の責任を問わずして、サブプライムローン問題の禊はすまされないのではないでしょうか。

とはいえ、証券化は倒産隔離やオフバラなどの点で優れた仕組みであるので、形を変えて今後も活用されていくものと思われます。

ポストサブプライム後の証券化の分野は、まだまだ研究し甲斐のある分野であると思います。

実践なるほどわかる!不動産証券化バイブル 実践なるほどわかる!不動産証券化バイブル

著者:橋本 隆
販売元:エクスナレッジ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

排出量取引

最近、暑くなってきました。私の会社ではクールビズを奨励しているので、いつもノーネクタイの上着なしで出勤しています。秋になってからのネクタイが肩がこりそうで心配です。

暑いといえば、地球温暖化。サミットもあって地球温暖化はホットではないにしても、世間の注目を集める話題となりました。

それに付随して、排出量取引なる言葉も巷に飛び交っています。最近、排出量取引について勉強しようと思い、まずはと思い、「三菱総合研究所・排出量取引入門」を読み始めたところです。

私は昔から国際法が好きなので、気候変動枠組条約や京都議定書のことは知っており、排出量取引についても、幾つか論文を読んだことはあるのですが(といっても大昔)、いよいよ現実のものになるの時期にきたようです。

排出量取引を含む、クリーン開発メカニズム(CDM)、共同実施(JI)は、京都メカニズムといわれ、目標達成を費用効果的に行い、かつグローバルな温暖化対策と途上国等の持続可能な開発に寄与するための手法として取り入れられたものです(前掲三菱17頁)。

いわば、妥協の産物ともいえるのが京都メカニズムであり、交渉当時、EU諸国や途上国は懐疑的な姿勢をとっていたようですが、いまやEUは排出量取引をビジネスチャンスととらえ、積極的な態度をとっているのはなんとも皮肉です。

そもそも京都議定書の発効自体、アメリカの不参加のもと、ロシアの参加を受けてギリギリのところで発行したという経緯があるところです。

さらに、排出量取引という新しい措置の実施は、まさにいまから手探りで詰めていく段階にあるといえるのでしょう。

個人的には、何かをしないこと(二酸化炭素を排出しないこと)に対して、どのように財産的価値を見出すことができるのか、など素朴な疑問をいだいているところです(もう解決済みなのかもしれませんが)。

排出量取引は、今後も注目の分野になるでしょう。

排出量取引入門 (日経文庫 A 63) (日経文庫 A 63) 排出量取引入門 (日経文庫 A 63) (日経文庫 A 63)

著者:三菱総合研究所
販売元:日本経済新聞出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

捜査1

刑事訴訟法の勉強の続き。学生時代は刑訴は得意科目だったのですが、すっかり忘れています。

ついに、捜査まで行きました。

刑事訴訟法は大きく分けて、①捜査と②公訴・公判に区別されます。

実質は捜査でほとんどが決まってしまうので、刑訴の教科書でも多くの紙面が割かれています。(以下は、白取「刑事訴訟法」81頁以下参照)

捜査とは、犯罪の嫌疑が認められる場合に行われる、被疑者の身柄を確保し、証拠を収集・保全する行為を言います。

捜査の目的は、諸説あるものの、犯人の発見・確保及び証拠の収集・保全を目的としています。

捜査の中で、もっとも基本的な原則を定めるのは197条1項です。

本条は①任意捜査の原則、②強制処分法定主義、③捜査比例の原則が導かれます。

①は、捜査において強制手段を用いることは、法律に定めのある場合にのみ許容されるにすぎず、捜査は原則として任意捜査の方法で行うべきとする原則です。

②は、強制捜査は法律に特別の定めがある場合にのみ許されることをいいます。

③は、犯罪捜査は、個人の生活領域を直接干渉する処分であるから、必要に見合った相当なものでなければならない原則をいいます。

①~③とも捜査権限を抑制するベクトルを有します。刑訴はいかにして、強大な捜査権限に対して牽制を行うのかという点に一つの力点があります。

もっとも、論者によって、この傾向に軽重があります。検察官や刑事裁判官の書いた論文のなかには実務を追従したり、拡張する傾向にあるものが多く、他方で弁護士の書いたもののなかには、捜査権限を抑制を主張する傾向のものが多いです。

結局は捜査の必要性と人権保障とのバランスの中にあるわけですが、強力な捜査権限を抑制するという観点や、裁判では極限事例が問題となっていることから、捜査権限の牽制の点がクローズアップされる傾向にあります。

 刑事訴訟法判例百選 第8版 刑事訴訟法判例百選 第8版
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

裁判員

今日は、久々に刑事訴訟法を勉強してみました。2年振りくらいに刑訴の教科書を取り出して読んでいます。

この2年間の刑訴の変化のめざましさに正直ビックリしたというのが感想です。

この変化の原因は、なんといっても2009年の裁判員制度の施行にあると思います。

裁判員制度とは、国民の中から選任された裁判員が裁判官とともに刑事裁判に関与する制度です。

死刑、無期の懲役など重大裁判に対して国民が参加することによって、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することがその目的とされています(裁判員1条)。

これと同時期に、2007年の法改正により導入された被害者参加制度(一部未施行)も注目に値します。

これは、被害者による証人尋問や被告人質問、事実・法律の適用についての意見陳述、損害賠償命令制度等を導入するものです。これにより被害者の司法参加が強化されることになっています(最も、当事者主義的訴訟構造とどのように整合性をとるかという懸念も一方で指摘されています(白取「刑事訴訟法(5版)64頁)。)。

このように刑事裁判は転換点を2009年に迎えることになります。裁判所では優秀な裁判官を刑事に移動させているとの話も聞きますし、検察においても同様に準備していることでしょう。

ただ、忘れてはならないのは我々国民の側で裁判員制度に向けた心構えができているかという問題です。重大事件を判断する当事者となった場合、はたしてワイドショーをテレビでみているときのような感覚で判断を下すことができるでしょうか。

私は、刑事裁判には当事者としてはできれば関与したくないと思っていましたので、刑事訴訟法の変化に学問的魅力は感じつつも、心配になっている今日この頃です。

刑事訴訟法 第5版 刑事訴訟法 第5版

著者:白取 祐司
販売元:日本評論社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ローマ法

私は塩野七生のファンです。

ローマ人の物語を読む→ローマに興味を持つ→ローマ法に興味を持つ→ラテン語が読めないのに気が付く→6つの格変化に挫折

という流れが今の状況です。

簡単に得た知識として、ローマ法は判例法主義である。

ローマ法には「actio」という概念があり、実体法よりも前に訴訟法がある。

ユスティニアヌス法典なるすごいものがある。

とのこと。

私の学生時代のゼミの先生が兼子一ファンだったので、「actio」という言葉は耳タコで聞きました。兼子一の「実体法と訴訟法」。ご興味があれば一度読んでみるとよいと思います。今では誰もが信じて疑わない、訴訟法のアイデンティティーなるものを感じることができます。

兼子先生は、訴訟法学において、先駆的役割を果たした大先生です。それだけでなく、蝶ネクタイや大学教授50歳定年説などユニークな逸話を残しています。

訴訟承継論など、助手論文とは思われない完成された論文を若くして出されています。

特に日本語の上手さは天才的で、私の師匠の先生などは、「兼子論文を写経しろ」などと無茶な指導をするほどでした。

久し振りの民事訴訟話でした。

 ローマ人の物語 2 ハンニバル戦記 ローマ人の物語 2 ハンニバル戦記
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

法律というルール

法律というものを勉強していると、「そもそも法律とは何ぞや」ということに思索を巡らせることがあります。

私が学生時代に法律を勉強しているときには、法律学には何かしら真実があり、文献等を読み込むことによって、いつかはその真実にたどりつけると思っていました。

現に大学での法律学では既存の法律を前提とした解釈学が中心で、条文の中になにかおかしなものがあっても、立法論を展開することは一段低いものの考え方であると見られていました。昔は民法は死ぬまで変わらないと本気で思っていましたから、この考え方もあながち間違いではありません。

しかし、時代が変わり、主要法令の改正が目白押しの現在の状況を見ると、どうやら法律に真実はありそにもないと思うようになりました。

私のいまの法律の見方は、「法律とはすなわちルールである」というものです。

答えになっていないかもしれませんが、このように考えて行くことにも効用があります。

ルールとは異なる価値観、人種、背景等を持つ人々がともに暮らしていくうえで守らなければならない規則です。

真実ではなくルールであれば、そのルールにおかしなところがあればそれを変えていくように働きかけていくことは自由です。国民は少なくとも選挙によってルールを変える機会は与えられているのですから。

また、ルールをどのように解釈しようと、その説得性には論理な優劣があるものの、主張する人による優劣はありません。ルールの解釈に正解はないのですから。

学生時代にまたタイムスリップすると、当時は偉い学者や最高裁の言っている解釈が絶対的に正しいと思っていました。しかし、よくよく考えてみると、偉い学者さんが言っているとしても、解釈の一つの仕方を主張しているにすぎません。法律の「ほ」の字もしらない子供であってもルールに対して自分の解釈を展開する自由は認められているのです。(もっとも論理的な優劣はあることは当然です。)

このように考えれば、法律に対する自分の主張をすことに躊躇することはなくなります。そうすれば益々法律の勉強をすることが楽しくなりますよ。

民法案内 1 私法の道しるべ 民法案内 1 私法の道しるべ

著者:遠藤 浩,川井 健,我妻 栄
販売元:勁草書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

国際法の魅力?

 

竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫) 竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫)

著者:司馬 遼太郎
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 国際法を久々に勉強し直してみました。

 最近、実学主義とでもいうのか、仕事に役立つ法律ばかりを勉強する傾向にあります。「教養のため」ではないのですが、国際法の本を久々に引っ張りだしてきたわけです。

 昔から、国際法を教養として勉強する人は多くいました。別分野の有名な学者が国際法を教養として勉強していたというのをどこかの本で読んだことがあります。竜馬が行くという司馬遼太郎の小説でも、竜馬がピストルの代わりに国際法を持ち出して、「今はこれが俺の武器だ」というようなことを言っていたように思います(うろ覚えで間違っているかもしれませんが)。

 ちなみに、国際法の父と言われるグロチウスは、超のつくほど天才であったというのは有名な話です。

 もっとも、グローバリゼーションの流れからか、現在では、国際ほうは身近なものとなっており、単純に「教養」というわけではなくなってきています。

 たとえば、国際経済法という分野があります。これはWTOを中心とした、国際経済をめぐるルールに関するものです(国際経済法とは何かについて、自明の定義があるわけではないが、松下「国際経済法(3版)5頁などを参照)。この分野については、WTOの紛争解決手続がよく利用されているためか、アンチダンピングを巡る紛争の代理人などを売り物とする法律事務所なども存在しているところです。

 また、排出権取引なども環境保全をめぐる条約から出てくるものです。排出権取引を大きなビジネスチャンスとして捉えている企業もまた存在しています。さらに、国際人権法などの分野も国際法を身近に感じる分野です。

 このように、国際法は私たちに身近なものとなってきていますが、あくまで国際法の主体として中心的な地位をもつのは国家であることは変わりません。国際法の体系もあくまで、国家を中心として構成されています。

 このような国家のパワーとパワーがぶつかり合う場で国際法は形成されるものであり、非常にダイナミックでエキサイティングな分野でもあります。「実学ではないから」といわずに、一度勉強してみることをお勧めします。

国際法 第5版 (有斐閣Sシリーズ 18) 国際法 第5版 (有斐閣Sシリーズ 18)

著者:松井 芳郎
販売元:有斐閣
Amazon.co.jpで詳細を確認する

国際経済法 国際通商・投資の規制 国際経済法 国際通商・投資の規制
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する
ベーシック条約集 2008年版 (2008)

販売元:東信堂
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

債権譲渡

民法 III [第3版] 債権総論・担保物権 Book 民法 III [第3版] 債権総論・担保物権

著者:内田 貴
販売元:東京大学出版会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

債権譲渡とは、ある債権をその同一性を保ったまま移転させることをいいます。具体的に言えば、AさんがCさんに対して持っている100万円の金銭債権を、Bさんに債権譲渡した場合、BさんはCさんに対して100万円の返済を請求できることになります。

 この債権譲渡がどのようにファイナンスに役立つのでしょうか。

 ファイナンスは、簡単に言えば、お金を持った人がお金の足りない人に金銭を融通することです。このとき、お金を持った人が大金持ちであり、債権の返済期日まで支払いを待つことができるならば債権譲渡の出番は存在しません。これに対して、お金を貸した人がお金持ちではなく、返済期日まで支払いを待つことができない場合もあります。このとき、余裕のなくなったお金を貸した人がとりうる手段として、もっと余裕のある人に債権を売る(つまり債権譲渡する)という手段が考えられます。この手段が容易に取り得るのであれば、お金を貸す人は将来の金銭の余裕を考えることなく、安心してお金を貸すことができます。その結果、お金はよく回るようになり、ファイナンスがよりよく達成できるわけです。

 このことから、債権譲渡はファイナンスを語る上で重要な制度となってきます。

 特に、株式や社債など、比較的小額の資金を多くの人から集める場合には、資金を出資する人々には多彩な事情があると考えられることから、譲渡の容易さは重要な要素となってきます。

 この株式、社債の容易な換金は金融商品市場においてよりよくなされます。このため、公正・自由な市場の存在は、一国のファイナンスの発展にとって貴重な財産となるわけです(「証券取引法読本」河本・大武・2頁参照)。

 ひるがえって見て、我が国の金融商品市場は公正・自由で魅力的な市場でしょうか。以前、Yahooの記事で、欧米の人は日本の市場をいかがわしいものと見ているとの記述を見て、愕然とした記憶があります。その評価が正しいのか(正しくないことを祈りますが)どうかは、これからの金融商品市場がどのように発展していくかにかかっているのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

債権

プラクティス民法債権総論 第3版 (プラクティスシリーズ) Book プラクティス民法債権総論 第3版 (プラクティスシリーズ)

著者:潮見 佳男
販売元:信山社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

債権とは、ある人がある人に対して、ある行為をすることを請求する権利のことをいいます。例えば、もっともメジャーな金銭債権を考えてみると、100万円の金銭債権を有する債権者は、債務者に対して、100万円を引き渡すことを請求することができます。

この債権は、あくまで請求することができる権利があるだけであって、請求が実質的に担保されていることを意味しません。そのため、債権は、債権の実効性を担保する法制度、すなわち、執行制度なくして存続することができないものです。この意味で、債権は、国家権力による執行制度が整備される時代まで、その主役としての地位を物権に譲っていたことになります。

ただ、ひとたび債権が実効性をもって存在しうるものとなると、その存在は物権よりも大きなものとなります。

特に、債権存在によって人は、場所的又は時間的な障壁を克服することができることになったのです(我妻先生の民法講義で読んだフレーズです。ドイツの偉い学者の言葉の翻訳であったように記憶しています)。つまり、お金の余っている人がお金の足りない人にお金を貸すという行為は、お金のあるところからお金のないところへ場所的移動を、ある時点でお金のある人から、ある時点でお金のない人へ時間的移動を行うことを意味するわけです。

以上のことから、お金のある人からない人へ資金を融通するファイナンスは、債権の誕生なくして成立しないものといえるわけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「及び」「並びに」「かつ」

条文は当然のように日本語で書かれています。そして、日本語は他の国に誇れる、表現ゆたかな言語であるといえます。たとえば、並列の接続詞として、「及び」「並びに」「かつ」などがありますが、これを英語で表すと「and」としか書けません。このような豊かな表現であるがゆえに、たびたびどの言葉を使うか迷う場面があります。

 このことは、条文においても例外ではありません。漫然と条文を読んで見て分かることですが、条文上、「及び」「並びに」「かつ」といういずれの表現も使用されています。

 実は、この「及び」「並びに」「かつ」は、条文上、無作為に使用されているわけではありません。これらの言葉は、明治以来の立法の伝統に基づく慣行あるいは政府内部の例文・例規として定められ、実務慣行として定着している一定のルールに基づいて使用されているのです。具体的には、以下のルールによります(「実務立法技術」・山本庸幸・324頁以下)。

ルール1:
二つの文言を単純に接続する場合には、「及び」を使う。
A及びB

ルール2:
三つの文言を単純に並列的に接続する場合は、文言の間を読点で結んで最後の二つの文言を「及び」で結ぶ。
AB及びC

ルール3:
三つ以上の文言を並列的に接続する場合で、その中で段階を設けて二つ以上のグループに分けたい場合などには、小さな接続に「及び」を使い、大きな接続に「並びに」を使う。
A及びB並びにC          「A,Bがひとグループ、Cがひとグループ」

ルール4:
何段階かの接続関係を作らなければならない場合、最も小さな接続にだけ「及び」を使い、あとは何段階になろうとも、すべで「並びに」を使う。
A及びB並びにC並びにD並びにE  「(((AB)とC)とD)とE

ルール5:
「かつ」は、特段の使い方の決まりはない。ただ、前後の文言を一体的に連結し、一体感を出したいときなどに使用する。また、二つの文章を「かつ」で連結する場合には、その前後に読点をつける。
AかつB A文、かつ、B


 このような独特の用語法によって、条文は規定されているのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

和解

皆様は、人と喧嘩をしたことがありますか?ちなみに、私は、つい先日、姉と喧嘩をしたところです(苦笑)。お互い心配しすぎるがゆえの行き違いというやつですね。

 さてさて、個人的なことはさておいて、人はひとりでは生きていけないので、社会を作って生活しています。よく、ニートに対して、「一人で生活できるように自立しろ!」などと、言いますが、厳密には、人はひとりでは生きていません。例えば、有名証券会社に行って仕事をしたとしても、食料品を作っているわけではなく、お金を支払って、食料品を買わねばなりません。すなわち、食料品を作っている人に依存する側面があるということです。このような依存関係の連鎖があるがゆえに、「お金」という制度が成り立っているのかもしれませんね。

 このように、社会は、人が集まることによって、成り立っています。ただ、その反面、人と人との接触は、紛争を生じる危険を内包しています。身近であるがゆえに喧嘩するなどがその例です。

 ことに、お金をめぐる紛争は、相互依存のこじれから、顕著に生じてくる紛争です。
 その紛争を解決する方策としてまず考えられるのは、自力救済です。よく、借金取りが家に取り立てにくる、家財を売り払う、マグロ漁船に無理やり乗せるなどですね。
 この自力救済は、現在では、禁止されており、国家救済が原則とされています。まさに、「執行の世界では、はじめに力があった。力は、正義と信ぜられた。しかし、力のあるところに必ずしも正義はがなく、正義は必ずしも力に支えられていなかった」時代からの反省によるものです(「民事執行法(増補新訂5版)」中野・3頁参照)。

 次に、考えられるのは、話し合いによる解決です。俗にいう和解というものです。また、訴訟という手段や、少しマニアックなものとしては、仲裁や調停という紛争解決手段も考えられます。

 金銭をめぐる紛争の解決は、最終的には訴訟によることになりますが、実際には、話し合いによる解決、和解による解決が大半を占めています。このことから、弁護士の技量として、訴訟で勝てることはもとより、良い和解ができることも、重要なファクターの一つであると思われます。

 さて、具体的に和解は、さまざまなフェーズにおいてなされます(以下の記述は、「7訂民事弁護の手引」・司法研修所・47頁以下、「新民事訴訟法講義(第2版補訂)」・中野・松浦・鈴木を参照しています)。

紛争が深刻ではなく、簡単な話し合いで解決する場合
 →紛争終了。和解契約書を作成する必要がない場合もある。

和解をしたものの、相手方が履行してくれるかに不安がある場合
 →和解契約書の作成や、起訴前の和解(即決和解、275条)。即決和解とは、簡易裁判所において、起訴  前になされる和解であり、裁判所が和解を斡旋するものではないが、債務名義を作成する手段として  利用されている。

第1回口頭弁論期日直後など、訴訟の早い段階
 →当事者が充分な主張を述べていないため、裁判官の心証も形成されておらず、和解が困難であること  が多いが、当事者に争いがない場合や、争点が少ない場合には、和解の可能性がある。ちなみに、裁  判所は、訴訟がいかなる程度にあるかを問わず、和解を試みることができるとされている(89条)。

弁論準備手続きなど争点整理がある程度進行した段階
 →裁判官が、準備書面や書証、陳述書から一定の心証を形成しており、また代理人も自己の弱点を理解  していることから、和解が成立しやすい。和解条項の書面による受諾の制度(264条)や、現地和解の  制度(規則322項)などの利用も考えられる。

集中証拠調べを済ませ結審間際の段階
 →さらに裁判官は心証を形成しているので、和解を促しやすい。場合よっては、裁判所等が定める和解  条項の制度(265条)の利用も考えられる。

 以上のような、和解のメリットは、時間と費用を節約できること、任意履行への期待があること、事件の柔軟な解決を挙げることができます(前掲・司法研修所・48頁)。これに加え、私自身は、相手方との対話のなかで、相互に相手方主張を理解でき、また、自己の主張を冷静に分析できることも、和解のメリットであると考えています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

不当請求

法律というのをやっていますと、まだまだ、法律知識が一般常識になっていないことに驚かされます。たとえば、ある日、突然、身に覚えのない手紙でアダルトサイトの利用料を請求される「不当請求」などで、まだまだ支払ってしまう人がいます。私自身も、メールで、不当請求を受けたことがあります。記憶をたどると、メールの文面には、「支払いがない場合は、刑罰を受けます」や、「民事訴訟を所轄の裁判所に提起します」や、債権譲渡が譲渡人の通知なしになされるなど、なかなか面白い内容のものでした。
 不当請求への対処の王道は、「無視する」というものですが、上級者は、法律上の間違いを逐一指摘して、返信するとのことです。そうすると、ビビって、その後の請求がなくなるとか(笑)。

・・・・冗談ですから、真似しないで下さいね。

 さてさて、不当請求ですが、請求者さんもなかなかやるようで、裁判所の名前を語るものや、有名弁護士事務所の名前を語るもの、さらに、無視するというのを逆手にとって、支払督促で責めてくるものなど、バラエティーにとんだものとなっています。といっても、不当請求自体は、すでに古い手という印象もあり、引っかかる人も少ないとも思えますが、意外と支払ってしまう人も多いものです。最近のインターネット詐欺も(例えば、アダルトサイトなどで、画面をワンクリックすると、承諾していないのに、有料サイトへの登録の画面がでて、不当に高い料金の請求画面へと移動するもの)不当請求と類似していますね。

 このような、不当請求に対する対処など、少し法律的な知識をかじっていれば、容易に被害を防げるものです。簡単な法律知識が一般常識となっていない現状が、不当請求の事例には現れているように思われます。

 今回のトピックでは、不当請求を取り上げましたが、言いたかったのは、「弱者救済」などという大々的な話ではなく、「なんとか、ある程度の法律知識を一般常識にできないものかな~」という、ひとりごとにすぎません。

法律知識が、一般的に普及すれば、一般の方が救われる場面が増えることは確かであると思います。他方、法律知識が一般に普及しても、法律専門家の仕事が増えることはあれ、減ることはないというのが、私の拙い考えです。法律というのは、一般的な誰にでも当てはまる総論的な部分と、個別的ないわばオーダーメイド的な部分があります。そして、一般的な部分、すなわち、すそのが広がれば、個別的な部分も並行的に増えるものと考えています。法律の条文というのは、抽象的であり、具体的な事件でどのように使用されるかは、専門家の助言が必須です。そのため、一般的な部分が広がると、一般を個別的な部分に導入する法律専門家、そして、個別的な部分を担う法律専門家の需要は逆に増えるとはいえないでしょうか。この点、法律専門家の方々から甘いとお叱りを受けるかもしれませんが・・・・。

さて、そんな感じで、「他利は自利、自利は他利」という感覚で、法律専門家の方々が、多くの法律知識を披露していただければ、とてもいいことになるのになぁ~と思う今日この頃です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

強制退去

  外国人の退去強制手続についてとりあげようと思います。

 以外なことのように聞こえるかもしれませんが、ある一人の個人が、ある国に住む権利があるかというと、それは、国際法上ありません。つまり、ある個人がある国に住むことを認めるのは、国の自由であるというのが、国際法上の原則であるとされます。

 実際には、国民には、自国に入国、在留することが認められているわけですが、外国人(日本国籍を有しない者)はそうではなく、どのような外国人の入国を許し、また在留を許すかは、国の裁量によるものとされています。そして、国は、在留中の外国人について、国家にとって好ましくないものと判断した場合には、外国人を強制力を用いて国外へ追放することも許されています。このように、外国人を強制力を用いて国外へ追放することを、退去強制といいます(強制退去、強制送還ともいいます。出入国管理及び難民認定法(以下、「入管法」)に定められています)。
 もっとも、一度(合法であっても、非合法であっても)入国した外国人は、日本国での生活を通じて、婚姻関係を持つなど、種々の利害関係をもっていることがありますし、まったくの国家の恣意によって退去強制をすることは許されるべきではありません。そこで、退去強制においては、退去強制事由を列挙し、基準を明確にし、また、種々の救済手続きが定められています。

 具体的な退去強制事由は、不法入国者や不法在留者などの入管法に違反して違法な状態で在留している場合は、刑罰法令違反者や、日本の憲法秩序を破壊するなど、日本の利益または公安を害する行為を行った者など、適法に在留しているものが、在留を許すことが不相当である行為を行った場合などが挙げられています(入管法24条)。

 次に、救済手続きですが、これには、行政上の手続きと司法上の手続きがあります。
 まず、行政上の手続は、4段階の手続が用意されています。
 第1段階は、入国警備官による違反調査です(入管法27条以下)。入国警備官は、退去強制事由に該当すると思料される外国人があるときに、その外国人について調査、取調べを行い、外国人が退去強制事由に該当すると疑うに足りる相当の理由があるときは、主任審査官の発付する収容令書によりその外国人を収容し、48時間以内に入国審査官に身柄を引き渡します。
 第2段階は、入国審査官による審査です(入管法45条以下)。入国審査官は、退去強制事由に該当するかの認定をし、退去強制事由に該当すると認定された場合には、外国人がこの認定に服するとき、または3日以内に口頭審理の請求をしない場合には、退去強制令書が発付されます。もし、外国人が入国審査官の認定に不服がある場合には、3日以内に口頭審理の請求をすることにより、第3段階の手続に移行します。
 第3段階の手続は、特別審理官による口頭審理です(入管法48条以下)。特別審理官は、入国審査官の認定に誤りがあるかを認定し、認定に誤りがないと判断した場合、外国人がこの認定に服するとき、または3日以内に法務大臣に対し異議を申し立てなければ、退去強制令書が発付されることになります。
法務大臣に対して異議がなされた場合、第4段階の手続として法務大臣の裁決がなされることとなります(入管法49条)。

 以上のように、退去強制における行政手続きは重層的なものとなっています。このことから、法務大臣の裁決には行政不服審査法による異議の申立をすることはできないとされています(行審法4110号)が、行政手続きはいくら積み重ねたとしても、行政内部の救済手続きにすぎず、公平な第三者的立場からは救済が期待できないといえるでしょう。すなわち、国家権力による私人の権利救済は最終的には司法的救済に期待せざるをえないともいえます。このことから、退去強制においては、行政事件訴訟法に基づく裁判所における司法救済を求めることが認められています(以上の説明は、「わかりやすい入管法」山田遼一・黒木忠正を参照しています)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

事実認定1

刑事裁判は、事実を認定し、それを法規にあてはめることによって、結論を導く、という過程によって行われます。この過程の出発点をなし、また最も重要といっても過言ではないものが、事実認定です。
現在では、事実認定は、裁判官の専権としてなされていますが、遠くない未来に裁判員制度が開始されれば、事実認定は、法律の専門家ではない(その意味で)一般市民の方にとっても身近なものとなります。

それでは、事実認定は、どのようになされるでしょうか。
事実を認定する相手方は、裁判官(市民)であり、実際に事件を起こした被告人ではありません。また、刑事裁判においては、資料となる証拠も限られています。このことから、刑事裁判が認定する事実は、自然科学のように絶対的な真実ではありません。結局は、限りある証拠から、ある事実があるであろう高度の蓋然性で満足する、歴史的・相対的真実で我慢するほかありません。
このような歴史的・相対的真実を認定する方法としては、①裁判官(市民)の直感による方法、②直感による方法を集積・分析し、整理検討する判断方法とがありえます。この二つの方法は、相互に背反しあうものではなく、相互補完しあうものと考えるのが相当でしょう。
裁判は、証拠をいくら集めたとしても、被告人が犯行を認めていたとしても、最後には「えいや!」という形で決断をしなければなりません。この決断の基盤として認定者の直感が重要であることは否めません。他方で、裁判、特に刑事裁判では被告人の人生を左右し、また、社会的な影響もあることから、認定者のまったくの主観に依拠してよいかは躊躇を覚えます。裁判によって示される結論は、裁判の当事者を説得しうるものでなければならないからです。この意味で、経験を集積、分析した客観的な判断指針が重要となってきます。

人間というのは、各個人にもちろん個性がありますが,身体的構造が同じでるためか、結構共通した行動をとります。「あるある探検隊」のネタに「ああ、あるな~」などと感じることを想起すれば、納得できるのではないでしょうか(笑)。

このように、人間は似たような行動をとるとの観点のもと、重要な犯罪については、裁判例が集積されており、客観的な判断指針が存在しています。

なにが、刑事裁判について、重要な犯罪かといえば、やはり殺人罪ということになります。殺人罪は、客観的には、過失致死罪や傷害致死罪と異ならないため、同罪の成立は専ら行為者が殺意をもっていたかによります。そして、殺意のような主観的な要素は、一般的に証明が困難です。

このような殺意の認定につき、事実認定における定評あるテキスト(「刑事事実認定(上)」小林充・香城敏麿・1頁以下)を整理すると、以下のようになります.

創傷の部位
創傷の部位が、身体の枢要部である場合には、行為者が殺意を抱いていた余地が大きい。枢要部とは、四肢を除く身体の全部分。具体的には、胸部(特に心臓部)、頭部、顔面、胸部、腹部、鎖骨上部、顎部。

創傷の程度
創傷の程度は、加えられた打撃の強さの程度またはその回数の多少を示す。創傷が一般社会通念から見て死の結果を将来する可能性が大きいという程度にまで達していた場合は、加えられた打撃が相当強度にまたは多数回にわたってなされたことを推認でき、このことは、殺意認定の情況証拠になる。

凶器の種類代表的なものとして、以下のとおり。
刺殺:一般的にみて相手方に致命傷を負わせるに足りる形状および性能(刃渡りや先端がとがっているか   など)を有する刃物を使用して行為におよんだ場合、殺意認定の有力な情況証拠になる。
絞殺:絞殺という殺害方法自体から、多くの場合殺意を認定できる。
射殺:絞殺という殺害方法自体から、多くの場合殺意を認定できる。
毒殺:毒性の強いものなら、相手方に服用させたこと自体から殺意を推認できる。
撲殺:凶器の形状、大きさ、硬さなどから殺意認定を行う。

凶器の用法
相手方に強烈な打撃を与えるようにして(力をこめあるいは、繰り返し)凶器を使用した場合には、そうでない場合に比べて、殺意を推認し得ることが多い。たとえば、相手方が攻撃によりその場に倒れ、または抵抗不能となったのにさらに攻撃を続けた場合には、殺意を認定できる場合が多い。

動機の有無
殺人を犯す場合には、それ相応の理由がなければならないのが通常である。その意味で、動機が殺意認定の重要な要素となる。

犯行後の行動
自己の攻撃によって相手方がその場に倒れ、放置しておけばまもなく死ぬことが明白であるにもかかわらず、行為者が傍観し、または放置したままその場から立ち去った場合には、殺意が推認されやすい。

その他
攻撃意欲を示す言動を行っていた場合などには、殺意を認定できる場合がある。

もっとも、このような客観的指針も絶対的なものではなく、これを基礎として、直感・経験・常識をおりまぜながら適切な事実認定をなすことが望ましいものと考えられます。裁判官が、従来行ってきた事実認定手法をそっくりそのまま繰り返すだけでは、裁判員制度の趣旨を十分に活かすことはできないでしょうから・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

電子契約法

 電子契約法が、平成13年12月25日から施行されています。電子契約法とは、その正式名称を「電子消費者契約及び電子承諾通知に関する民法の特例に関する法律」といいます。いささか長い名前の法律ですが、条文数は4条(附則を含めても7条)と短いものとなっています。ただ、ネットでの商品の購入、ネットサーフィンをすることが一般的になった現状においては、結構使う機会の多い法律となっています。

 具体的に同法は、①消費者が行う電子消費者契約の内容に特定の錯誤があった場合の特則を定めることにより、消費者の誤操作ミスから消費者を保護すること、②電子商取引における契約の成立に承諾の発信主義を到達主義に変換することを定めています。
は専門的な民法の話になるだけでなく、到達主義(当事者の意思が相手方に到達したときに契約が成立する)は、通常の人の感覚に沿うものと思われるため、今回では取り扱いません。
今回取り上げるのは①です。
 多くの方がご存知のように、○天またはア○ゾンなどで商品を購入する場合、パソコンの画面上で購入個数を入力しなければなりません。この場合、消費者の誤操作により、とんでもない注文が○天やア○ゾンに送信される可能性があります。例えば、ア○ゾンで本を一冊購入しようとして、つい誤ってテンキーを連打してしまった場合、11冊や、111冊や、1111・・・・冊(そういえば、私が小学生のとき、1秒間にファミコンのボタンを16連射できる名人がおりました。世代がばれるかな(笑))の注文がなされる危険があります。この場合、消費者としては、契約の無効を主張したいところです。もっとも、このとき民法の95条但書が消費者の主張の妨げとなります。
そもそも、民法95条は、当事者に錯誤(簡単にいえば、うっかりミス)がある場合には、契約の無効を認める規定です。ただ、民法95条但書は、意思表示をした者(ここでは誤操作をした消費者)が重過失(おおきなミス)により錯誤に陥って意思表示をした場合には、意思表示をした者は契約の無効を主張できないとされています。
これが、先ほどの消費者の主張を妨げるのです。具体的には、以下のようなやりとりがなされるでしょう。

消費者
「事業者さん、実は先ほど本を111・・・・冊の「○○名人の冒険島」の攻略本を注文したのですが、あれは1冊の間違いでした。すいませんが、錯誤なもんで、契約は無効ってことでお願いします」

事業者
「ええ~!せっかく本が売れたと思ったのに。○○さん。普通に考えて、16回もテンキーを連打することはありえないのではないですか。これは、仮に○○さんに錯誤があるとしても、あなたには重過失がありますよ。だから、95条但書によって、あなたは契約の無効を主張できないのですよ。」

消費者
「それは、普通の人の場合です。不肖私は、1秒間に16連射を行うことが可能なのです。したがって、重過失はないのです。」

消費者、事業者ともに
「お互い平行線のようですから、裁判で白黒つけますか。私の方が白に決まってますけど。」


 などという争いが生じてくるのではないでしょうか。この場合、裁判によって白黒つけることも解決方法のひとつですが、あまりに時間がかかりすぎます。重過失というような主観的なものは、客観的なものにくらべて裁判での立証が困難だからです。ネットで一日に物を購入する人の数は著者の知るところではありませんが、一日に一人の人が誤操作をするとしても、1年間で事業者は365件もの訴訟を抱えることになってしまいます。これは大変です。
 他方で、パソコンの操作は良くも悪くもワンクリックであるため、誤操作を生じやすく、消費者の立場に立つと、なんらかの方法で契約の無効を認めてあげたいものです。

 そこで、電子契約法は、事業者と消費者との間でパソコン等を通じて契約を締結する際に、消費者が契約締結の意思なく、または送信内容のことなる契約を締結するつもりで、誤操作を行い、契約締結の意思表示が事業者になされたとしても、事業者が消費者の意思を確認する措置を講じていた場合、または消費者が確認措置を必要としない旨の意思の表明があった場合を除き、契約を無効とするものとされています(3条)。これにより、消費者は保護され、事業者側も画一的な処理を予測でき、確認措置の構築等により、消費者の錯誤の主張を封じることができるようになるわけです。

 このような契約法3条は、いわゆるアダルトサイトのワンクリック詐欺(会員登録もしていないのに、画面をワンクリックすることにより勝手に画面上にIPアドレス等の情報が表示され、多額の料金の請求、請求に応じない場合には自宅等に押しかける等の脅迫文が画面に表示されるもの。IPアドレスなどの個人情報の表示により、消費者は料金を支払ってしまうことがあるが、IPアドレスだけでは、サーバーの検知はできても、住所や氏名の検知はできない。無視してOK。)などにも応用できるものといえます。すなわち、ワンクリックで会員登録を終了することはできず、消費者に対する意思確認の措置がとられていない以上、契約は無効となるからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)